旧岩崎家住宅とCanon5DmarkⅡ+EF35mmF1.4L [建築]
前田侯爵邸の紹介ついでに、昨年の秋に訪れた上野池之端にある「旧岩崎邸」です。
岩崎家邸宅は、1878年(明治11年)に岩崎弥太郎(新しく始まった大河ドラマでおなじみですね)が土地を購入し、弥太郎の長男、岩崎家3代目の岩崎久弥が1896年(明治29年)に本邸を建築したものです。
岩崎弥太郎は、1885年に亡くなっているので、弥太郎自身はこの豪華で優美な建物には、足を踏み入れてないことになりますね。
敷地内には、洋館、和館、撞球室の3棟が関東大震災や戦災の難を逃れ現存しています。
明治時代の技術の粋を集めた建物が現存していること自体、非常に貴重なものだと思います。
洋館と撞球室の設計は、鹿鳴館やニコライ堂(御茶ノ水)を設計した「ジョサイア・コンドル」です。
洋館は、岩崎家の迎賓館として主に使用され、ジャコビアン様式(イギリスにおける初期ルネサンスのリヴァイヴァル)、建築史的には、歴史主義建築に分類される豪華な建物です。
海運を一手に支配し、巨万の富を築いた岩崎家の本邸として贅を尽くした建物です。インテリアにイスラム風のデザインを施したり、金唐革紙の壁紙を貼りめぐらしたり、ミントンのタイルをベランダに敷き詰めたり、備品の細部までデザインされていたりと一言で言うと優美この上ない!といった建物です。
水洗トイレやシャワー付の浴室もあったりと設備に関しても当時の最先端の技術が使われています。
別棟の撞球室には、地下通路(公開はしていない)でつながれていたりと本当にお洒落です。
百聞は一見にしかずということで、写真でご覧ください。
ミントンのタイル、百年以上経過しているとは思えない発色です
柱の装飾
螺旋階段の手すり
金唐革紙の壁紙(こちらは、忠実に再現され貼りかえられたものだそうです)
2Fのベランダです
そして水洗トイレ
和館です。
庭からの光景です。
撞球室は、山小屋風の建物でした。
最寄り駅は、千代田線「湯島」。一見の価値ありです。
岩崎家邸宅は、1878年(明治11年)に岩崎弥太郎(新しく始まった大河ドラマでおなじみですね)が土地を購入し、弥太郎の長男、岩崎家3代目の岩崎久弥が1896年(明治29年)に本邸を建築したものです。
岩崎弥太郎は、1885年に亡くなっているので、弥太郎自身はこの豪華で優美な建物には、足を踏み入れてないことになりますね。
敷地内には、洋館、和館、撞球室の3棟が関東大震災や戦災の難を逃れ現存しています。
明治時代の技術の粋を集めた建物が現存していること自体、非常に貴重なものだと思います。
洋館と撞球室の設計は、鹿鳴館やニコライ堂(御茶ノ水)を設計した「ジョサイア・コンドル」です。
洋館は、岩崎家の迎賓館として主に使用され、ジャコビアン様式(イギリスにおける初期ルネサンスのリヴァイヴァル)、建築史的には、歴史主義建築に分類される豪華な建物です。
海運を一手に支配し、巨万の富を築いた岩崎家の本邸として贅を尽くした建物です。インテリアにイスラム風のデザインを施したり、金唐革紙の壁紙を貼りめぐらしたり、ミントンのタイルをベランダに敷き詰めたり、備品の細部までデザインされていたりと一言で言うと優美この上ない!といった建物です。
水洗トイレやシャワー付の浴室もあったりと設備に関しても当時の最先端の技術が使われています。
別棟の撞球室には、地下通路(公開はしていない)でつながれていたりと本当にお洒落です。
百聞は一見にしかずということで、写真でご覧ください。
ミントンのタイル、百年以上経過しているとは思えない発色です
柱の装飾
螺旋階段の手すり
金唐革紙の壁紙(こちらは、忠実に再現され貼りかえられたものだそうです)
2Fのベランダです
そして水洗トイレ
和館です。
庭からの光景です。
撞球室は、山小屋風の建物でした。
最寄り駅は、千代田線「湯島」。一見の価値ありです。
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- 発売日: 2007/02/02
- メディア: 単行本
西洋館の旅〈第5巻〉東京の旅―明治洋風建築スケッチ (1979年)
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- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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- メディア: -
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